安全だと思っていた日本でも銃撃事件があり、
衝撃的に命が奪われたことで、
たくさんの人がショックを受けました。
そこで今回、宗教問題が問い沙汰されましたね。
残念ではありますが、
事件が起こらないと実態はなかなか浮き彫りにされないものです。
影響力のある人が命を失い、
その事実の上で恐ろしい宗教団体の実態が表沙汰にされました。
犯人の親御さんが宗教団体に多額のお布施をして、
家族がメチャクチャになってしまったことの恨みが事件の引き金になってしまったようですが、
このような宗教団体に財産を全て吸い取り上げられた人は宗教団体の資産と比例するぐらい多いのでしょう。
なんとなくそんなもんだろうと思っていても、
実態を突きつけられても、
なかなか自分事とはまでは受け入れられないものです。
しかし表面的には同じ出来事ではなくても、
大元は同じ出来事が自分の身にも起こっているとしたら・・・
他人事と思えなくなってきますよね。
その意味で、
なぜこのような事件が起こってしまったのかを考えなくてはと感じます。
スピリチュアル的に起こる出来事には意味があります。
ここで私が一番感じるのは、コントロールです。
自分は宗教にコントロールなどされないと思う方もおられるでしょうが、
宗教に関わらずとも人は生まれてからここにくるまで、
知らずのうちにコントロールされてきています。
コントロール=宗教、だけでは無いんです。
まずは親から、そして学校、大人、友人、世間、情報・・・
意図があってもなくても常に価値観を植え付けられて生きてきているんです。そしてその価値観で人生の選択をして生きています。
宗教なら、お布施をしたら幸せになれる。
親なら、この学校に入ったら・この企業に入ったら安泰だとか。
情報なら、これをやったらカッコいいなど。
しかし、
全財産をお布施して本当に幸せになった人はいるでしょうか?
安泰だと言われその通りにして心休まる日々は過ごせているでしょうか?
一時的には浮かれても、次々と溢れる情報に翻弄され続けているだけでは無いでしょうか?
銃撃事件の犯人も、自分の不幸は宗教のせいだとの価値観を手放せなかったからではないでしょうか?
宗教が悪い、親が悪い、世間が悪い、情報が悪い・・・。
表面的にはそれも間違いではない場合もあるでしょう。
しかし、
自分を自分でコントロール出来れば、間違った行動は避けられます。
自分の幸せの道を知っているのは自分自身だけなので、
真実は自分の価値観の中にあります。
何が起こっても、宇宙はあなたを不幸に追い込むことはありません、
なので自分がどう反応するかが分かれ道になっているのです。
私たちは、幸せから遠ざかる刷り込まれた価値観を手放し、
コントロールされず、真理に目を向ける時期に来ていると感じます。