スピリチュアルな仕組みを前提に生きて行くようになって、穏やかに過ごせるようになりましたが、子供にはついつい「学生の身分をわかってるの?!」などと直球を言ってしまい些細な口論になることもあります。
娘は「わかってるよ!」と言いますが、こんな穏やかになった私(笑)でも、ついつい口に出してしまうのは、行動が伴っていないのが目に余る時です。
娘のことは信じていますが、自分の行動を再考することは必要です。
クライアントの方に、例えばマインドのお話ししていると「聞いたことがあります」「それは知っていますが」「分かっています」と言われる方がおられます。
では、理解できていますか?と尋ねると「私なりに理解しています」「心にしみています」と。
そこで、では実践していますか?と尋ねると大抵の方は「分かってはいるのですが・・・」・・「・・・」黙られます。
これが『レベルの段階』なのです。
人は知って聞いて自分なりに理解して、そのことが自分に身についたと誤解してしまうことが多いです。
しかし、実践しなければ身につかないのです。
車の運転も、学科で車はどういった仕組みで動くのかを聞いて、なるほどと理解しても、実地でハンドルを握って経験しなければ、どの程度アクセルを踏んだらどの程度のスピードが出るのかは分かりません。
身体で経験しなければ身に付かないわけです。
これと同じように、最適に生きていくマインドを学んでも、実践しなければ最適に進んではいかないのです。
そして『レベルの段階』にはもう一つ上の段階があります。
「理解したことを意識して実践している」
「理解したことを意識せず実践できている」
この違いは大きく違います。
運命を左右する違いです。
車の運転も、初めは一つ一つの動作を意識していますが、本当に身につくと意識せずに行えるようになりますよね。
自然な動作の中で注意さえも払えるようになっていきます。
マインドもこれと同じだと思ってみてください。
成功している人は「1%の才能と、99%の努力」と言いますよね。
それを聞くと、すごく努力した人だけが成功出来るのかと、思ってしまいます。
実はこの99%とは「99%自分を信じて行動した」ということなのです。
その意味で、聞いて知って理解したことを、信じて行動するか、しないかが分かれ道になってきます。
自分を信じてやることは、他者が思うほど本人は努力だと感じないものです。
自分のためになる行動を繰り返すことで筋肉が鍛えられ、意識せずとも最適な行動がとれる体質になっていきます。
人生は知っているだけでは、自分が求める人生には変わっていきません。
人生は行動し経験し創造して行くためにあるのです。