何かの出来事に感情が生まれます。
同じ出来事でも、人それぞれ反応の仕方は違うんですよね。
自分にとっては大したことではなくても、
ある人にとってはとんでもない出来事だったり。
ある人は「こんな事ありえなーい、信じられなーい」
ある人は「そんな事もあるよね、まいっか。次行こ」
そしてある人は「もう生きていけない・・かも・」落ち込んでしまう。
誰しも嫌な感情で支配されてくないとは思っているのでしょうが、
起きて欲しくない出来事が降ってくるのが人生なんです。
そこで感情が生まれる・・
生まれて来てしまった感情は仕方がありません。
しかし嫌な感情を受け入れていると、
嫌な感情もだんだんと慣れてしまうんですよ。
耐えられるようになってしまう。
そして、反応がネガティブな人ほど、
自分の不幸に酔ってしまう事もあるんです。
順応性あり過ぎです。
たとえば、DVを受けている人が、普通に考えれば耐えられないのに、
痛くても、苦しくても耐えられるようになって、
涙きぬれる事が日常の一部として、受け入れてしまう方もいるんですよね。
娘が小学生の頃のママ友が骨折して腕をつってたんです。
顔に青タンまでつくっていました。
私は「どうしたのー!!」って慌てましたが、
ママ友は、ご主人にぶん殴られて骨折したってサラリというのです。
その顔は『うちの旦那ってワンパクでしょ』っていてるように感じたんですよね。
喧嘩の原因を聞くとまたまたびっくり!
「旦那が浮気相手と旅行に行ったのを問いただしたらキレられた」
その顔は『うちの旦那モテるのよね』って言ってるように感じたんです。
そして次に続いた言葉にまたまたまたびっくり!!!
「でも優しいところもあるのよ」
あーこの人『慣れてる』『酔ってる』って思いました。
日頃辛い目にあわされてると、ちょっと優しいことをされると、スゴイ優しい人になってしまうようです。
そんな反応で自分の不幸の帳尻をあわせているのかもしれません。
思春期の頃って情緒不安定気味になるじゃないですか、
私も大人の世界が見え隠れしていた頃、
綺麗で心優しい主人公が病魔に襲われるドラマストーリーに、
何だか切なさと心苦しさが素敵に思えて「私も病に襲われたーい」
などと罰当たりなことを考え、不幸の物思いに酔ってしまったり。
人に裏切られて、泣きながらお酒を飲んで「私って不幸な女・・」って自分に酔っていた覚えもあります。
人生においてネガティブ思考に慣れてしまうと、
「痛みの許容範囲が広すぎー」になってしまいます。
『許容範囲』・・・私の許容範囲は広かった・・耐えるたびに広くなっていった・・。
けっこうな波乱的人生でしてので、
人から「そんなこと絶えて来たなんてスゴイですー」と言われると、
「私って痛みに強いのよ、エヘヘ」
などと自慢げに言っていた時期があります。
その頃の私に「それ自慢することでなく、自分が幸せから遠のいていた原因だろ!」とツッコミたいところです。
そこで、
さすがにもうこれ以上『許容範囲』は広がりません状態になる。
人は本当はポジティブな存在なので、
当然「このままではいたくない」という感情が生まれます。
本当の自分が感情を通して教えてくれているんですね。
でも痛みに慣れちゃってるので、
「このままでいたくない」までに時間がかかる。
時間が長ければ長いほど、ネガティブ感情は分厚くなって、
許容範囲は広くなっているので、
意識しなければ変えていけないんですね。
『嫌な気分は嫌なものを引き寄せる』
嫌な出来事が起きて「まいっか、次行こー」と反応できない人は、
酔ってる場合ではありません。
酔いを覚ましましょう。
嫌な気分が生まれたら「嫌な気分、バイバーイ。次行こー」
って違うことを考えて、
耐えることからさっさと避難してください。