同じ出来事でも、Aさんは特に問題だとは思わない。
ところがBさんにとっては大きなトラブルに感じられる。
この差は何故なんでしょう?
実際は出来事にトラブルというラベルは付いていることはありませんよね。
私たちが心の中で、主観的に分類しているのだとしたら・・・
自分自身でトラブルと受け止めない選択するこはできますよね。
そうは言っても、起きて欲しくない出来事はいくらでも起こります。
ここで本人がトラブルと感じる同じような出来事が、
繰り返し起きることがあります。
ある女性Yさんの相談です。
お話する中でのYさんは、気配りがきく、人の良い優しい人、
誰からも好かれるのだろうと感じる女性です。
Yさんは人の良いのにつけ込まれて、友人Sさんから頻繁に頼み事をされます。
最初は快く引き受けていたのですが、頼み事がどんどんエスカレートして、頼み事を受けるのが時間的にも精神的にも負担に感じていました。
一般的には「はっきり断ってしまえばよい」で済むことですが、
Yさんにとって、頼み事を断るということは、大きな勇気がいることなのです。
その心理は「相手が怒ったらどうしよう」「冷たい人だと思われるのではないか」いろいろな考えが頭をよぎると言います。
そんなYさんに見かねた友人が、
中に入って取り持ってくれSさん頼み事は終結したのですが、
今度は違う人からの頼み事が始まり、相談に来られました。
スピリチュアル的に見れば、
このような出来事は、学びと課題があります。
Sさんの件は、人任せで事なきを得たのであって、一見解決に見えても実は次のトラブル再来の伏線になってしまっていたんです。
人によっては、断ることに苦痛を感じません。
Yさんが、断るのを苦手としているのは、克服すべき課題と言えます。
宇宙はYさんが課題を克服するまで、何度でも「NO」と言わなければならない機会を与え続けてくれるんです。
課題を克服するたびに人は成長していけます。
なのでトラブルは自身が成長できるように最適に起こっているのです。
そう捉えると実はトラブルは存在しないことに気付けます。
「トラブルは存在しない?そんなのコジ付けじゃないの!」
と思われるかもしれません。
「こんな酷い目に遭うのはトラブルでしょう!」その気持ちはわかります。
それは心に「自分では解決できない」という思いがあるからです。
起きる出来事は偶然ではなく悪戯に起きているのではなく、必然だと考えてみて下さい。
成長のために起きているのであれば、そのトラブルを乗り越える力は自身の中にあるのです。
トラブルが起きるたびに原因は周りにあると考え、誰かのせいにしている人に魅力は感じられないのではないでしょうか。
起きる出来事に学び成長している人に魅力を感じませんか。
自己責任という生き方を選択すると、トラブルがなくなり人生が大きく好転していきます。
あなたは、どちらの考え方生き方を選択しますか?