私たちは、良いことより、悪いことに意識を向けてしまいがちです。
痛みを痛みのまま過ごしてしまえば、自分にとって悪いこととして心に残ります。
「辛いことも、時間が解決してくれるわよ」などと言いますが、実は時が経って忘れているようでも、潜在意識の奥底に、無かった方がよかった出来事として、痛みの出来事として残り続けていきます。
ここで質問させて下さい。
あなたは神の存在を信じますか?
「信じています」と言う方も、それでは、自分自身の存在は信じられていますか?
もし、神・創造主の存在を信じるならば、全ての存在の本質は『神・唯一のパワー』です。
言いかえれば、存在するもの全ては、神であるといえます。
ということは、私たちは神が創造した存在、本質は神であるということです。
ではここで、神・創造主が存在するもの全ての起源とするならば・・・。
まず、神は、最大の無条件の愛、最大の無限の可能性です。
私たちが、心に描く良いこと善とは、無限の命・無限の愛・無限の平和と調和・無限の豊かさ、などではないでしょうか。
これは、実は、神の特徴と一致します。
全ての源である、神が善であるなら、全ては善ということです。
全ての創造主は神であるなら、『善と悪』という二つのものは存在しないといえます。
あるのは『善』一つです。
しかし、私たちが神であるとは信じられず、そんな素晴らしいことは信じられず、
人生に何か辛いこと、苦しいことが起こると「悪」と決めつけ嘆きます。
私たちは、先人の知恵で創り上げられた悪というものを、人生の過程で刷り込まれてしまったため、
起きた出来事に、自分の人生は悪いことばかり運が悪いと嘆いたり、生きるのは大変で、多大な犠牲と努力が必要で、豊かさはほど遠いところにある、病気になるかもしれない、一寸先は闇だ・・・などと考えてしまいます。
これは、この世には『善と悪がある』との思い込みがあるからです。
しかし、全ての源の神が善良であるのですから、良いことは創り出さなければならないのではなく、
すでに良いことはここにあるのです。
ここで気付いて頂きたいのは、悪、悪い出来事と思ってしまうものは、成長するためのチャレンジです。
私たちは、その出来事を体験することにより、魂が成長していきます。
そして乗り越えられない出来事は起こりません。
それは、辛い体験を乗り越え、喜びをより深く感じる体験をするためだからです。
ここで、考え方や、物の見方の角度を変えてみることを、オススメします。
私たちは、神から分け与えられた存在であること、ものごとに限界を設ける考え方、自分を制限する心のあり方を手放す。
私たちは、最大の無条件の愛、最大の無限の可能性の中で生きている。
ホッとするのではないでしょうか?私たちは悪という重荷を背負うことはないのです。
私たちは、『宇宙の善良さに』意識を集中させることで、『宇宙と繋がる』ことができます。
宇宙と繋がることで、人生を最適に導くことができます。
神はいつでも、私たちがそのことを思い出すことを、信じています。